私たちは4月19日を養育費の日として、離婚・再婚家庭の子どもたちのために養育費や面会交流の取り決めと実施を推進する活動をしています。
2003年~2012年「養育費の日」キャンペーンイベントを毎年4月に開催してきました。
現在はウェブサイトを使った情報配信と啓発を続けています。
【キャンペーンの目的】
NPO法人M-STEPでは養育費の未払い問題は当事者だけの問題ではなく、子育てにおける「親としての責任」の問題としてとらえ、2割しか支払いがされていない現状を多くの人が問題視し、大人としての責任を考えていけるように提言しています。
私たちの活動を通してこの問題への関心が高まることを目的に活動しています。
養育費への思い(絵本「あえないパパに聞きたいこと」から・・・)
「父親なんか血のつながりでしかないし、関係ない!」
母子家庭で育った長女が15歳の時に口にしたひと言でした。生後3か月で母子家庭になった彼女には、父親の記憶はまったくありませんでした。「確かにママとパパは離婚しているけど、それは大人の都合であって、パパは今でもあなたのことを想っていると思うよ」とフォローしたつもりの私に、「じゃ、証拠は!?」というひと言が返ってきました。
離婚当時、調停で決められた養育費がちゃんと支払われたのは1ねんくらいだったでしょうか。支払いが滞るようになり、裁判所からの履行命令も効果がなく、自分dね交渉しようと勇気を出して電話をしてみました。電話口に出た夫の再婚相手から「うちだって子どもが生まれて苦しいのに養育費なんて払えません。裁判にでも訴えてください」と感情的に言われた時に、これ以上嫌な思いをしたくないとあきらめてしまいました。
でも「証拠は!?」と娘に問い詰められたとき、養育費を諦めてしまったことを後悔しました。「離れて暮らしていても愛されているんだ」という証(養育費)があれば、娘がこんなに悲しいことを考えずに育ってこれたのに、と思いました。「離れて暮らしていても愛されている」という証が、養育費と面会交流であり、子どもの権利だと思います。
アメリカ映画などに出てくる、親の離婚によって離れて暮らしている親子は、あたりまえのように週末に会っていますし、経済的な援助も親の義務として果たされています。
しかし、日本では絵本の主人公のように、両親の離婚によって離れて暮らす親との関係が終わってしまい、会えないまま育つ子供がほとんどです。
子どもの本当の気持ちが、大人の都合で無視されているのではないでしょうか?
新川てるえ